共和制とポエニ戦争(紀元前6~2世紀頃)

ポエニ戦争

ローマでは、紀元前509年に共和制ローマ( Repubblica Romana )が成立しました。共和制では、当時2つ統治組織があったことで知られています。一つは「パトリキ」( Patricii )という貴族や政治家による元老院です。もう一つは市民の「プレブス」( Plebs )です(ちょうど日本の参議院と衆議院のようですね)。

共和政ローマは、次第に戦争による領土拡大へと向かいます。紀元前3~2世紀には、地中海の覇権を争ってポエニ戦争( Le Guerre Puniche )が行われました。

 

アルプス越えで知られるハンニバル将軍

ポエニ戦争では、現在のチュニジア(アフリカ北東)に位置するカルタゴの将軍ハンニバル( Annibale Barca )との戦いが特に知られています。ハンニバルはアフリカから像を率いて、地中海からではなく、スペインのピレネー山脈、スイスのアルプス山脈を越えて、イタリアに攻め込んだという伝説的将軍です。

結果的にローマがこのポエニ戦争にも勝利しました。戦争を通して、ローマは現在のイタリア半島のみならず、ギリシア・北アフリカなども領土として支配を拡大していきました。


ハンニバル将軍のドキュメンタリー「Impero Annibale Barca」をどうぞ!

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イタリアの歴史

旅でも役立つ!速習イタリア史

イタリアの歴史イタリア語とともに、まずはイタリアの歴史をカンタンに学んでみませんか?

歴史を知るだけで旅の楽しみが倍増

イタリアはどの街を訪れるにしても、古代ローマやルネッサンスといったイタリア史を少し知っているだけで、何倍にも旅を楽しむことができます。

遺跡、モニュメント、広場、街並み、郷土料理、教会、・・・そのいずれをとってもイタリアの歴史が色濃く反映されています。

ここでは、イタリアの歴史をカンタンに学べるよう「誰でも読めるやさしいイタリア史」を綴ってみました(随時更新(青色)予定)。

1.ローマの建国(前8-6世紀)

2.ポエニ戦争ハンニバル(ローマ共和制)(前6-2世紀)

3.シーザ(カエサル)の登場(前1世紀)

4.帝政ローマ(1-3世紀)

5.古代ローマの衰退と分裂

6.中世のはじまり

7.中世とは?

8.シチリア王国

9.イタリア戦争

10.メディチ家とルネッサンス(Rinascimento)

11.18世紀のヨーロッパ諸国の侵略
12.ナポレオン
13.イタリア統一への動き risolgimento
14.イタリア王国(統一)
15.ローマ遷都と帝国主義(植民地)
16.第1次とムッソリーニ
17.ファシズム
18.第2次大戦(1)
19.第2次大戦(2)
20.戦後
21.共産主義と現在

 

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ローマの建国(前8~6世紀)

イタリアの先住民族はエトルリア人

イタリア半島にはもともと先住民族としてエトルリア( Etruschi )人が住んでおり、エトルリア( Etruria )文明と呼ばれます。

エトルリア人はインド・ヨーロッパ語族に属さない独自のエトルリア語を使用していた民族で、その後登場してきたローマの勢力が強くなるとともに消滅、あるいは同化していったとされます。

イタリアで考古学博物館( Museo Archeologico )に行くと、エトルリア文明の土器などが展示してあるのをよく見かけます。

 

ローマ建国は双子ロムルスとレムス

エトルリア文明のあと、伝説によると紀元前753年にロムルスとレムス( Romulus Remus )という狼(写真下)によって育てられた双子によってローマが建設されたといわれています。「 Roma 」という名前はこの Romulus が由来になっています。

ロムルスとレムス


初代ローマ王のロムルス以降、7代の王によって統治(王政ローマ)されていましたが、紀元前509年、7番目の王タルクィニウス・スペルブスが追放されて、共和政ローマが成立しました。

 

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黄金比とフィボナッチ数列

「黄金比」とフィボナッチ数列

美しい長方形のタテとヨコの比率は「黄金比」といわれ、数列やイタリアの数学の歴史に関係があるようです。数列の問題も用意してもらいましたので、ぜひチャレンジして下さい。

レオナルド・フィボナッチとは…

レオナルド・フィボナッチ(Leonardo Fibonacci 1170頃~1250頃)はイタリア・ピサで生まれ、エジプト、ギリシャ等を旅行して数学を学びました。ヨーロッパで学んだ内容を本にして出版し、数学をヨーロッパに本格的に広めた人物です。この本に記載されている数列がフィボナッチ数列として有名です。

フィボナッチ数列は、0、1から始まり、前の2つを足し合わせて作られる次の数列のこと。
0、1、1、2、3、5、8、13、・・・
自然界と関係の深い数列・数です。

自然界にも見られるフィボナッチ数列

ミツバチの家系をたどると子ども、その子どもの数はフィボナッチ数列となりますし、ほかにも花びらの枚数、木の枝分かれ、まつぼっくりのまつかさ,ひまわりのたねの配列などに、フィボナッチ数列の数が現れます。

フィボナッチ数列の隣り合う二つの数の比はだんだんと黄金比(1:1.618)に近づきます。


Fibonacci最も美しい黄金比

 

黄金比は(宇宙で)最も安定し美しい比率といわれており、パルテノン神殿やピラミッドといった歴史的建造物、美術品の中にも数多く潜んでいます。

イタリアのルネサンス期を代表する芸術家、レオナルド・ダ・ビンチも黄金比を発見していた記録があり、彼の作品の中にも多くの黄金比が潜んでいます。黄金比も同様に自然界と密接に関係していて、植物の葉の並び方や巻き貝の中にも黄金比を見つけることができます。惑星の軌道にも黄金比が関連あるとか。名刺、パスポート、本などの縦横比にも黄金比をみることができます。

フィボナッチ数列に関連した問題です。

ちなみに、この問題は1994年灘中の算数の入試問題です。超難関校の問題ですが、この問題は難問ではないので、ぜひチャレンジしてみてください。解いていくと、フィボナッチ数列に出会えるでしょう。

 

[ 問 題 ]

1辺の長さが1cmの正方形Aがある。

図のように、Aと1辺を接する正方形①をAの右へ描いて長方形を作る。次にその下へ1辺を接する正方形②を描いて長方形を作る。さらに、その右へ正方形③を描いて長方形を作る。
この操作を繰り返し行うとき、次の各問の□に適する数を記入せよ。 nada

(1)正方形⑥の1辺の長さは(  )cmである。
(2)正方形⑦を描いて作った長方形の面積は(  )cm2である。
(3)正方形㋐を描いて作った長方形の面積が初めて40000cm2を超えたという。アは(  )のときである。

解答・解説は下↓

 

 

 

答え (1) 13  (2) 714  (3) 12

次のような表を作成すると、(1)、(2)の回答が得られます。

番号
一辺の長さ(cm) 1 2 3 5 8 13 21 34 55 89 144 233
長方形の面積
(cm2)
1㎝
×
2㎝
2
×
3
3
×
5
5
×
8
8
×
13
13
×
21
21
×
34
34
×
55
55
×
89
89
×
144
144
×
233
233
×
377

また(3)は、面積が40000cm2(=200cm×200cm)を超えたときなので、⑪か⑫であることが予想されます。

あとは計算して

⑪番目の長方形では、144×233=33552(cm2)、

⑫番目の長方形では、233×377=87841 (cm2)となるので、⑫が答えとなります。

表から、1辺の長さの縦横それぞれにフィボナッチ数列が現れることがわかります。

この問題はフィボナッチ数列の典型的な問題と言えますが、計算だけで十分に解ける問題になっているので、中学入試問題として出題されているわけです。フィボナッチ数列の本格的な問題(一般項を求めるなど)となると、現在では高校数学の範囲も越えます。

ちなみに、100番目などn番目の長方形の長さを知りたい場合は下の式のnに100などの数を代入して計算してみてください。(フィボナッチ数列の一般項です。)

Fibonacci_Fn

 

 

ここで、

ougonhi

 

 

ですので、黄金比の数が現れます。

自然界(宇宙)に存在する、フィボナッチ数列と黄金比は数式でもつながりを確認することができました。

Leonardo FibonacciのWEBサイトはこちら

執筆者 松本リサ

1984年東京生まれ。東京理科大学院工学研究科修士課程修了。小さい頃から数学好きで、大学・大学院では数学を応用した統計学を主に研究 (Journal of Probability and Statistics 2009The Pharmacogenomics Journal)。 現在はアクセンチュア株式会社に勤務。

 

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Violettaさんインタビュー

ヴィオレッタさんにインタビュー

NHKでイタリア語講座や、料理の番組にも携わったヴィオレッタさん。結婚を機に、来日。日本での子育てを経て、イタリア語の教師や料理の先生などをしながら、日本に20年以上、在住してきました。

ロシア語、英語、フランス語、日本語まで堪能な、ヴィオレッタさんに、語学を学ぶコツや、日本での長い生活を通じて感じたことは、どんなことだったのか、インタビューしました!

-Sei venuta in Giappone con il proposito di diventare insegnante?
Devo dire che sono venuta in Giappone un po’ per caso, quando studiavo in Russia ho conosciuto mio marito e immaginavo che insegnare sarebbe stato il lavoro piu` probabile.

-日本には先生になろう、と思って来たのですか?
日本には、ちょっとした偶然で来たのよ。ロシアで勉強をしていたときに日本人である夫と出会って、日本に来ることになったわ。そのとき日本であれば、先生が合っていそうな職業じゃないかしら、とは考えていたわね。

-Come e` nato il tuo interesse per il Giappone?
Il mio interesse e` nato dopo. Dopo parecchio tempo ho cominciato a rendermi conto che ci sono diversi aspetti del Giappone che mi si confanno, distanza tra le persone, anonimato. Ma anche il fatto che qui non sono “la moglie di”, ho un mio nome e una mia carriera.

-日本に興味を持ったきっかけは?
興味はあとになってからよ。子育てを経て、あとになってから。日本にはイタリアとはいろんな違った面があって、それが私に合っているわ、とようやく感じることができたわ。
例えば、人との間にある距離感であったり、プライバシーが守れるところとか…。それに日本では教師やさまざまな仕事をしているので、「~の妻」ではなく、私の名前やキャリアを持てるということも、私にとって良かった点ね。

-Hai cominciato a insegnare con un metodo preciso o sei andata per tentativi? 
Sono andata per tentativi, chiedendo agli altri colleghi. Secondo me, gli studenti giapponesi hanno bisogno di sicurezza, l’insegnente deve sentirsi sicuro di quello che fa, cosi` gli studenti si rilassano ed e` piu` facile che apprendano. Uso il giapponese qualche volta per spiegare la grammatica o dei significati al volo, per me e` importante dare attenzione individuale anche durante lezioni di gruppo, dove posso cerco di seguire gli studenti uno ad uno, spesso utilizzando attivita` di scrittura.

-イタリア語を教えはじめたのは、ある決まったメソッドに沿って? それともいろいろ試しながら教えていった?
同僚に聞いたりして、試行錯誤しながら、だったわ。
私からすると日本人の生徒は安心感が必要なのね。だから先生はやっていることが正しいと感じてもらうようにしないと。そうすれば、生徒はリラックスして、学びやすくなるのよ。日本語は、文法や意味をすぐ説明しなくてはならないときにときどき使うわね。
大切なことは、グループレッスンであっても、一人ひとりに注意を向けること。ライティングのワークをよく使ったりするのだけど、それなら生徒を一人ずつ指導できるわ。

-Quali consigli da a chi vuole studiare l’italiano?
Leggere e ascoltare tantissimo, perche` questa e` la mia esperienza nell’apprendimento di una lingua straniera, ho studiato il russo, l’inglese il francese e il giapponese.

-イタリア語を勉強したい、という人へのアドバイスは?
たくさん書いて、たくさん聴くことね。私は、ロシア語、英語、フランス語、そして日本語を学んだのだけれど、このことはたくさんの外国語を学んだ経験からのアドバイスとして言えることよ。

-Quali sono i tuoi progetti per il futuro?
Scrivere un libro di cucina, vorrei dedicarmi di piu` all’insegnamento della cucina italiana, trovare una strada per poter dire le cose che mi piacciono sul cibo, il significato, la tradizione, la cultura culinaria, i legami con la Toscana e con la mia storia familiare. Venire qui mi ha portato a riscoprire le mie radici, la nostalgia mi ha spinto a rivalutare delle cose che davo per scontate.

-将来の計画は?
料理の本を書くこと。イタリア料理を教えること、このことにもっと専念したいわね。
食べるもの、食べるものひとつひとつが意味すること、伝統的なことやイタリア料理の作り方の文化、トスカーナ地方や私の家族の歴史とのつながり、といったことで、私の好きなことを発信できる方法を見つけたいの。
ここ日本に来た、ということは、私のルーツを再発見することになったし、故郷であるイタリアへの想いを感じ、イタリアにいたときは見過ごしてきたことをあらためて見直す機会にもなったの。

-Grazie!
-ありがとうございました!

Violetta MastragostinoVioletta Mastragostino(ヴィオレッタ マストラゴスティーノ)さん

イタリア語、トスカーナ地方の伝統料理の講師。イタリア語以外にも、ロシア語、英語、フランス語、そして日本語に堪能。20年以上、日本に滞在し、NHKのラジオとテレビ番組や、ナレーターとしても活躍中。

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市吉則浩さんインタビュー

市吉 則浩さんにインタビュー

 「駐車(ちゅうしゃ)」が「チュチャ」、「討論(とうろん)」が「トロン」、「農民(のうみん)」が「ノミン」と発音し、日本語と全く同じ意味。そんな言語をご存知でしたでしょうか? ・・・そうです。日本のお隣り、韓国語です。
「へえーっ、面白い!」という感じる視点から、韓国語を学ぶ。そんな韓国語の本を書かれている方がいらっしゃいました!
外来語からかなりのイタリア語を学べる、という視点をもっている私からすると、非常に共感する発想で書かれた、韓国語の学び方。第三回イタチカ・ドットコムのインタビューは、「日本人だからできる!漢字で覚える韓国語」 の著者、市吉則浩さんです。

市吉則浩

-韓国語だけで、かなりの著書の数ですね?

そうですね。最初に書いたのは、『「冬のソナタ」をもっと楽しむ本』でした。これは、ちょうど「冬のソナタ」がブームになった頃、ドラマの「こんなところがおかしい!」「なぜこんなことがあるの?」といった、韓国の文化や習慣を知っていないと、理解できない部分がありまして、これを解説する本を出したんです。

そこから、韓国ドラマを解説する本をシリーズ化しよう、というお話をいただきまして、それでとても忙しくなって。やはり夜でないと時間が捻出できず、昼間はフラフラになりながら、韓国語のクラスを教えてました(笑)。

-もともと何をきっかけに韓国語を?

実は、最初から、韓国語をやろうと思っていたわけではなかったんです。もともとは、海外で仕事がしたい、という思いがありまして…。

市吉則浩

まずは日本語を教える資格、日本語教師の資格をとりました。当初は、アジアの中でも、東南アジアや、台湾等、を希望していたのですが、どうしても教師の空きのタイミングが合わなくて。それで、縁があって韓国に行くことになりました。

当時、韓国に行って驚いたのは、韓国の方の、語学に対する熱心さ、です。

皆さん、仕事が始まる前の時間、朝6:30から、日本語を学びに来るんです。あるいは、仕事が終わってからの夜、夕方ですね。しかも、前の晩、どんなにお酒を飲んでいても、翌朝、皆さん、休まない、サボらない。一人もですよ。
私も刺激をうけて、ソウルの学校で韓国語を学び始めました。

-韓国語の魅力は?

市吉則浩

まず、学べば学ぶほど、本当に日本語と近い。「あっ、韓国語でもこう言うんだ!」という発見が今でもあるんですね。例えば、「話に花を咲かせる」とか、「口に合う」といった表現は、韓国語でも同じです。数千年以上にわたる、隣国としての歴史的な関係の深さを感じるんです。
また、ちょっとした違いも面白い。例えば、発音では、韓国語では、「ゾ」や「ザ」という音が無かったりとか、或いは、「白黒テレビ」を、「黒白テレビ」、「あっちこっち」という表現を「こっちあっち」と表現したりとか。
また、韓国語を通じて、これだけ私たちにとっては、外国人である韓国の人と親しく慣れるんだ、というのも大きな発見でした。歴史的なことを抜きにしても、誤解していることも多く、語学を通じて知り合ってみれば、当初考えていた壁など無い。
韓国の人は、私の印象では、総じて、わかりやすくて、単純・明快で、付き合いやすい方々だと実感しています。

-初心者にお勧めの学習法は?

まずは、韓国の文字、「ハングル」の読み方から学ばれることをお勧めします。
ハングル、というと難しそうな印象をお持ちになる方が多いのですが、構造はローマ字と似ているんです。つまり、「k」と「i」を組み合わせて「ki」にすれば、「キ」と読む、といったように、パーツ・パーツを覚えて、組み合わせるコツをつかんでしまえば、案外簡単に読めるようになってしまいます。
あとは、文法の構造は、日本語とほとんど一緒なので、単語だけ、日本語で作った文にあわせて置いていけばいい。
ですから、何年か使わなくても、単語さえ思い出せば、語順に悩まず、すぐ韓国語の文章は作れるんです。

市吉則浩

-今後の展望はいかがでしょう?

韓国語というのは、使われている言葉の7~8割が漢字の言葉なので、非常に日本語と似通った言葉が多いです。例えば、「家具」は「家具」ですし、「価値」は同じく「価値」。しかも、日本では、漢字一文字に対して音読み・訓読みと読み方が複数ありますが、韓国語では、基本的には読み方は一個。例えば、「会社」が「フェ・サ」だと覚えてしまえば、「サ・フェ」と言われたときに、あ、「社会」という意味かな?、と、まるでクイズを解くように想像できるようになってきます。
そんな韓国語の面白さをもっと知ってほしいし、日本と韓国の交流がもっと盛んになってほしい。そのお役に少しでも立てるようになっていければ、うれしいですね。

-ありがとうございました!

<インタビュー後記>
とても穏やかなお人柄から語られる韓国語の魅力は、「将来、韓国語、やりたい!」と思うほど、とても楽しいものでした。イタリア語や欧米系の言語では、日本語との「違い」が楽しかったりしますが、韓国語では、日本語に本当に「近い」ところに魅力がありそうです。
インタビュー後、私たちの忘れ物を届けようと自ら走って追いかけてきてくださったお人柄に感銘を受けながら、インタビューを後にしました。
市吉さん、本当にありがとうございました! (インタビュアー:松本、村越)

市吉則浩さん

市吉 則浩

1973年東京生まれ。明治学院大学卒業。2000年日本語講師として渡韓。延世大学校韓国語学堂を修了し、帰国後、韓日交流センターを主宰する。韓国語教室で語学指導に従事するかたわら、日韓にかかわる様々な活動に携わる。著書に、「ローマ字だからすらすら覚える韓国語」「今すぐ使える韓国語フレーズ ~うきうき韓国ライフ編」、他がある。

【著書】(他多数)

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ヴェネツィアの黄金の球

黄金の球(Venezia)

オーストリアの詩人・ホフマンスタールの「美しい日々の思い出」の舞台となったヴェネツィア。今回はこの街のある「像」にスポットを当てます。

オーストリア詩人を魅了したヴェネツィア

イタリアには美しい町が多い。ナポリにジェノヴァにミラノ、フィレンツェ……とすぐにいくつもの名前があがるなかで、私はヴェネツィアこそが一番だと思う。ヴェネツィアを訪れた詩人たちの紀行文も断然すぐれているし、なかでも好きなのは、世紀末ウィーンの詩人ホフマンスタールの「美しい日々の思い出」である。

著作「美しい日々の思い出」

この文章は“私”がカタリーナという少女とその弟フェルディナンドをつれてヴェネツィアの裏手の暗い水路から小船に乗って入り、サンジェミニアーノのアーケードからいきなりサンマルコ寺院の前に出る。折しも西日のあたる壮麗な広場をまのあたりにした少女は「これ本当なの?」「本当に本当なの?」と叫ぶ。

Basilica Sante Maria della Salute

黄金の玉の上に乗る男?

三人は広場と広場をかこむ寺院や塔やこれにつらなる建物を仰ぎ見たのち、小広場へ出て夕映の海の眺めに見入る。<今や、すべてが焔(ほのお)に包まれていた><黄金(きん)の球の上に乗る男が燃えていた>と詩人は書く。

 

その正体とは?

ところが<黄金の球の上に乗る翼持つ男>は権威ある文学全集でもよく間違えている箇所である。ホフマンスタールでさえ、よく知らずに書いたらしく、「翼」に見えたのは“角盃(かくはい)と船の舵(かじ)”であり、“男”は男ではなく“運命の女神”なのであった。その場所はサンマルコ広場の対岸、大運河の対岸にあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の東側に突き出した海運税関(Dogana da Mar)の屋上である。屋上に置かれたのは見事な黄金色の球に乗る“翼持つ男(女神)”。(写真左)

この像に気づく人は少ないし、その正体を知る人はもっと少ないだろう。そうした人間の一人として私はヴェネツィアに行くとまずこの黄金色の球を確認し、ヴェネツィアの本体に出会ったという思いにひたる。

ホフマンスタールも書いているように、黄金の球とともに輝くのは当の瞬間のみの太陽ではない。過ぎ去った年々の、いや幾世紀も昔からの太陽なのである。

(ドイツ文学者/松本道介)

「チャンドス卿の手紙」 他十篇 (岩波文庫)
ホフマンスタール (著), 桧山 哲彦 (翻訳)  
ここでご紹介した「美しい日々の思い出」は、「チャンドス卿の手紙」の中に収められています。


michisuke松本道介(文芸評論家)

1935年北海道生まれ。東京大学大学院修士課程修了。熊本大学、國學院大学を経て中央大学に32年勤務。中央大学名誉教授。文芸評論家、リヒャルト・シュトラウス協会理事。著書に「近代自我の解体」(勉誠出版、1995年)、「視点」(邑書林、2000年)、「反学問のすすめ 視点Ⅱ」(邑書林、2002年)などがある。

「ドイツにはゲーテ、ホフマンスタール、トーマス・マンなどイタリア(とりわけヴェネツィア)に夢中になってそれが代表作ともなっている文学者が少なからずいます。それゆえ「ドイツ文学に於けるイタリア」というテーマを研究テーマにしているドイツ文学者も少なからずいます。私もその一人です。それゆえでしょうか、私は2005年にナポリのサン・カルロ歌劇場 Teatro di San Carloが来日した時のプログラム(永竹由幸氏監修)にヴェルディの「ルイーザ・ミラー」の原作者フリードリヒ・シラーについて書きました。」

 

 

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三次方程式とカルダノ

三次方程式とカルダノ

三次方程式の解の公式を解いたとされるカルダーノというイタリアの数学者に迫ります。最後に数学の問題もありますのでチャレンジしてみて下さい。

三次方程式の解の公式を解いたカルダーノですが…

文系の方でも高校1年生のとき、二次方程式の解の公式を暗記した記憶があると思います。ジローラモ・カルダーノ(Girolamo Cardano)は三次方程式の解の公式を導いた人として数学科に進学された方にとってはとても有名な人です。彼のお父さんはレオナルド・ダ・ビンチの友人で数学の才能に恵まれた弁護士でした。

彼は、ミラノ生まれのイタリア人数学者で三次方程式の解の公式は「カルダノの公式」と言われています…が、三次方程式の解は実際にはタルタリア(Tartaglia)という数学者が先に解いていました。カルダーノが絶対公表しないと誓いを立てたので、タルタリアはカルダーノに教えてあげました。しかし、カルダーノは自著でこれを公表したので、タルタリアは怒ってしまったという逸話があります。

四次方程式までも…

また、カルダノはこの本の中で四次方程式の解についても公表していますが、なんとこれはカルダーノの弟子であるフェラーリという人物(もちろんイタリア人です)が解いています。「カルダノの公式」と言われていることからもわかるように、どちらの公式もカルダーノのこの本によって広く知られるようになりました。

「ギャンブラー」だったカルダーノ
chess game彼は金遣いが荒く、本人は自分のことを賭博者やチェスのプレーヤーと考えていたようです。しかし、数学者らしく、効率的なイカサマの方法として、はじめて系統的に確率論に触れた本を書いています。

ギャンブルとは確率論!?

またカルダーノは「ギャンブラーにとっては、全くギャンブルをしないことが最大の利益となる。」という言葉も残しています。確率論の始まりはギャンブルです。そして、数学的(確率的)に考えれば、ほとんどのギャンブルは最終的にはギャンブラーが破産する仕組みになっていることが確認できます。数学者の彼のもっともらしい発言ですね。

「虚数」もカルダーノ

彼の悪いところを強調してしまったようですが、カルダーノは数学者として間違いなく優れており、二乗して負の数になる「虚数」の概念をはじめて導入した人物です。(例の三次方程式の解の公式に導入しています。)虚数がなければ現在の電気回路における電流と電圧の関係を数式で表すことは困難ですので、この分野の発展はないでしょう。また複素数の力学ともいえる素粒子の振る舞いをあらわした量子力学の発展もありません。よって、2008年にノーベル賞を受賞した南部陽一郎さんの研究も生まれなかったことになります。虚数は目に見える数としては存在していませんが、自然界に確かに存在していると考えざるを得ません。

[ 問 題 ]

では、先ほど紹介したカルダノの本の中に登場する次の問題を解いてみましょう。
問題:足して10、掛けて40になる二つの数はなんでしょう?
この問題で、彼は虚数の概念(ルートの中が負の数)を紹介しています。

解答・解説は…

 

 

 

⇒Girolamo Cardanoのイタリア語のwikipediaはこちら

松本リサ

1984年東京生まれ。東京理科大学院工学研究科修士課程修了。小さい頃から数学好きで、大学・大学院では数学を応用した統計学を主に研究 (Journal of Probability and Statistics 2009The Pharmacogenomics Journal)。 現在はアクセンチュア株式会社に勤務。

 

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フレスコ画と漆喰

フレスコ画と漆喰

イタリア絵画で有名なフレスコ画と、日本の伝統的左官材料である漆喰(しっくい)は同じ材料であることをご存知でしたか?

イタリア絵画の傑作「フレスコ画」

システィーナ礼拝堂の「天地創造」そして「最後の審判」。フレスコ画の代表的な傑作です。見ているだけで圧倒される。言葉を失う。そういった人も少なくないことでしょう。それほどの迫力と美しさ、あるいは、作るのにかかった気が遠くなるほどの構想と苦労と時間と労力、それを本能的に感じ取り、圧倒されるのかもしれません。

フレスコ画とキリスト教と

Assisi

もともと、フレスコ画というのは、ルネッサンス初期に花開きました。なぜ、フレスコ画が、花開いたのか? それは、ルネッサンス初期のキリスト教の変化にその起源があります。キリスト教では、教典というものが存在していたため、その内容を教えるために、教える階級として司教がありました。彼らは、教典の内容を深く理解してもらうために、「絵」というイメージを利用していましたが、それまでモザイクタイルによる絵で行われていました。それを変えたのがアッシジの聖フランチェスコでした。

彼は、ルネッサンス初期に、お金がある上流階級だけでなく、貧しい庶民にももっとキリスト教を伝えなければならない。そこで、豪奢なモザイクタイルによる絵ではなく、壁面に、それまであった漆喰という材料に油と顔料を混ぜることにより、壁画を作成する、という質素なフレスコ画を考えたわけです。それをきっかけに、ルネッサンス期、フレスコ画による壁画が花開き、ミケランジェロの「天地創造」などに結実していきます。

日本にもある漆喰文化

思えば、日本にも漆喰の文化は古くから存在し、今もなお、むしろ今では高級な左官の壁仕上げとして存在しています。漆喰という材料は、下地作りから始まって、中塗り、上塗りという段階を経て、仕上げられますが、下地や中塗りの水のひき具合、季節による気温、材料の質等、色が白の場合でも色むらやヒビ割れをおこさないように、非常に気を使って仕上げられていく材料です。

それに例えば顔料を加えて、色付けを行うとなると、さらに気を遣います。こっちの壁とあっちの壁で色が違っていたり、色むらが出ていたりしたら、施主さんから何て言われるでしょうか? 自らの仕事として、左官屋さんは、消石灰と顔料の配合比率、つまり材料作りから非常に神経を使って仕事を仕上げていきます。

失敗の許されないフレスコ画

ひるがえって、フレスコ画です。一旦塗って、乾いてから、仕上がりの色が分かってくるという世界で、一度その色が違ったら剥がさなければやり直せない世界の中で、しかも剥がしてもうまく継ぎ目が補えるかわからない、つまり失敗が許されない世界の中で、あれだけの色使いと構想で実現されるフレスコ画。あれだけの絵を描き上げるために、おそらく先人からの気が遠くなるほど積み重ねられたであろう試行錯誤とその苦労と労力を想像するだけでも、しばし頭の中は呆然としてしまいます。

東京でのフレスコ画は、ジブリ美術館の天井画が有名ですね。また、漆喰を使った壁画、ということでは、最も古いものでは、高松塚古墳が有名です。フレスコ画、という漆喰を使った絵と、イタリアと日本のつながりに思いを馳せるいい機会になるかもしれません。(村越幹弘)

株式会社TNS代表取締役: 村越幹弘

村越幹弘

1974年、東京都生まれ。都立西高校、中央大学法学部卒業。その後、東京大学大学院にて国際法を専攻し、法学修士を取得。1999年オリックス株式会社に入社。宇都宮支店で3年間の法人営業を担当後、投資銀行本部にて債権買取・証券化・M&Aの業務に携わる。2005年3月末に同社を退職。株式会社TO THE NEXT STAGEを友人と立ち上げ、現在、株式会社TO THE NEXT STAGE 代表取締役、同時に家業の太平建材株式会社取締役としても活躍中。

 

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Marinaさんインタビュー

Marina Zicchettiさんにインタビュー

日本に10年以上、在住して、イタリア語を教え続けている、マリーナ・ズィケッティさん。なぜ、10年以上も前に、日本に? どんな学習法がお勧め? そんな本音の質問を、インタビューでは、聞いてみました。

-Sei venuta in Giappone per diventare insegnante di italiano?

No. Pensavo che sarebbe stato bello poterlo fare, ma non sapevo proprio se sarebbe stato possibile. Comunque mi interessava molto il Giappone, ho sempre pensato che un giorno ci sarei venuta. Non sapevo se avrei potuto fare l’insegnante ma innanzitutto sentivo di dover venire qui.

-もともと、イタリア語講師になろうと思って、日本に来た?

いいえ。なれたらいいな、とは思っていたけど、なれるかどうか確実にはわかっていなかったわ。
それより、日本にとても興味があって、「一生のうち、必ず日本に行こう」そう思っていたので、講師になれるかどうかわからなかったまま、まずは日本に来てしまったのよ(笑)。

-Come e`nato il tuo interesse per il Giappone?

Da un cartone animato che si chiama “L’invincibile Ninjia Kamui”. Quando frequentavo le elementari in Italia trasmettevano diversi cartoni animati giapponesi, non solo Ninja Kamui , anche Heidi, le opere di Hayao Miyazaki e di Go Nagai, poi Lady Oscar, i Cavalieri dello Zodiaco, ecc… Molti dei cartoni animati giapponesi parlavano di famiglia, della ricerca della mamma per esempio come in “Dolce Remi`” , al quale anche mia madre si era appassionata e che spesso guardavamo insieme. Era curioso come un paese asiatico potesse e volesse fare proprie in un’opera d’animazione la cultura e l’ambientazione europea. Comunque appena ho saputo di quale paese si trattasse, ho preso il mappamondo regalo della mia bisnonna, e visto il Giappone dall’altra parte del mondo, ho giurato che un giorno ci sarei andata.

-日本に興味を持ったきっかけは?

カムイ伝。(注:漫画家、白土三平の代表作。) 私が、小学校から中学校のころ、日本のアニメがイタリアのTVでやっていたんだけど、本当に面白かったわ。もちろん、カムイ伝だけではなくて、アルプスの少女ハイジといった、宮崎駿のアニメや、セイント・セイヤとか、ベルバラとか。
特に、日本のアニメは家族の話も多いでしょ?お母さんを探したりする話などは、母親も一緒になって、ハラハラしながら見ていたわ。
とても不思議だったのは、アジアの国なのに、ヨーロッパの文化や風景を反映したアニメになっていたこと。
なぜアジアの国なのにそれができるの? ということがとても不思議だったわ。こういうアニメが日本という国で作られた、という話を聞いたとき、祖母からもらった地球儀を引っ張り出して、日本がどこにあるかを探して、こんなにすばらしいものを作り出す国に、将来必ず行ってみよう、と思っていたのよ。

-Quando sei venuta e hai cominciato ad insegnare l’italiano, sei andata per tentativi?

Si`, quando ho cominciato ad insegnare l’italiano, a scuola non c’era nessuno preposto al tirocinio, all’inizio e`stata dura.
Comunque osservando il metodo di insegnamento dei miei professori di giapponese che insegnavano esclusivamente in lingua giapponese, confrontandomi negli anni con colleghi esperti, con amici e studenti, sono arrivata al metodo diretto.

-日本でイタリア語を教え始めたとき、教え方をとても試行錯誤したとか?

そう。日本でイタリア語を教え始めたとき、当時は、誰も教え方を教えてくれる人がいなかった。だから最初はとても大変だったわ。
でも自分が日本語を学んでいるとき、そして教えていく中で、それからベテランの人や、同僚、仲間とも話を重ねていって、最終的には、“ダイレクト・メソッド”がいい、という結論にいたったのよ。
ダイレクト・メソッドというのは、イタリア語だけの環境に身をおいて、イタリア語だけで学び実践する方法。もちろん、色々なアプローチがあるので道は一つではないけど、実際の場面で会話できるようになるためには、結局、実際の場面に近いこの方法が一番効果があると考えているわ。

-Quali consigli dai a chi vuole studiare l’italiano?

Nello studio dell’italiano e`inevitabile la componente stress del “non capisco”. Per quanto uno studente abbia raggiunto un livello avanzato, ci sara` sempre qualcosa che gli sfugge, capita anche tra parlanti della stessa lingua. Vorrei quindi dire a chi si avvicina all’italiano per la prima volta che questo disagio e`inevitabile: e`necessario abituarcisi affinche`non diventi fonte di ulteriore stress. Desidero che lo studente si eserciti a fare ipotesi, parlare e comprendere all’interno di questo stress.

-イタリア語を学ぶ人へのアドバイスは?

イタリア語を学ぶ上で、「わからない!」「聞き取れない!」という“ストレス”は避けて通れないテーマ。というのも、どんなに上級になったとしても「わからない!」「聞き取れない!」というストレスは出てくるものよね。だから初心者の人に伝えたいことは「わからない!」というストレスは、当たり前だし当然のこととして、ストレスを感じること自体にストレスを感じないでほしいのよ。
むしろ、ストレスに慣れる、という意識がとても大切。ストレスがある中で、どうやって、推測したり、話すか、聞き取るか、という練習をしてほしいわね。

-Quali sono i progetti per il futuro?

Abitare lontano dalla citta` a contatto con la natura. Sono piuttosto preoccupata per come si sta modificando l’ambiente in cui viviamo. Un posto del Giappone che amo molto e`Okinawa e vedo che sta cambiando in peggio ogni volta che ci vado. Forse in futuro convivere con la natura diventera`una priorita`.

-将来はどんな生活をしていきたい?

田舎暮らし、自然のある暮らし、たとえば、土いじりとか、そういった生活をしたいと思っているわ。今、地球の環境問題は、とても深刻だと感じているし、私が大好きな沖縄方面も、自然の破壊がどんどん進んでいるし…。将来的にも、自然に近い生活をすることが、とても大切になってくるのではないかしら?

-Grazie!
-ありがとうございました!

Marina ZICCHETTIMarina ZICCHETTI(マリーナ ズィッケッティ)さん

トリノ大学で心理学を専攻後、来日。長沼日本語学校にて日本語を習得し、その他ラテン語、英語にも通ずる。1998年よりイタリア語を指導し、小学館の社員向けサークルや、イタリア文化会館、ベリタリア、日伊協会にて講師をつとめる。NHKのラジオ講座の講師や、その他イタリア語関連の学習書の音声担当も多数。これまでおよそ6~7000時間(約10年)を講師として日本で教えた経験を持つ。

マリーナ先生の監修教材<Corso d’ascolto>シリーズは、「学ぶ・知る⇒使える・話せる」という語学学習の永遠のテーマに真っ向から取り組んだ力作の初級者向けヒアリング教材です。「わからない」というストレスを感じながら学ぶ2部構成です。

⇒ 1.Corso d’ascolto unita’ uno (自己紹介)

⇒ 2.Corso d’ascolto unita’ due (はじめの会話)

 

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故郷イタリアの再発見

故郷イタリアの再発見

先日、通勤電車のアナウンスで、「ただいま、1分の遅れで発車しております。お急ぎのところ大変申し訳ございません。」といったので、びっくりしました。

1分間で謝るなんて…。

イタリアやスペインだったら考えられません。ちょっとせわしない日本ではあります。そんな日本も、海外に出ることで良さを再発見することがあります。

今回の私どものインタビューは、NHKのイタリア語講座でおなじみのVioletta Mastragostinoさんです。トスカーナ地方のお料理の先生としても活躍中です。

日本に来たことで、かえって故郷イタリアを見直したヴィオレッタさん。来日のきっかけや、日本での語学の上達のヒントもお話下さいました。

→ http://itacica.com/cultura/violetta/

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方言

111030_1453~02.jpg 方言

与論島のユンヌフトゥバ

新年早々、鹿児島県の与論(よろん)島に行ってきました。海の本当に美しいところです。わざわざ地中海に行かなくてもいい、なんて思いました。

こちらでは、与論(ユンヌ)の独自の言葉があり、それをユンヌフトゥバ、といいます。

会話を聞いたら、ぜんぜん意味がわかりませんでしたが、でも日本の古語が残っていたりして、きれいな言葉だな、と思いました。

 

イタリアの方言

イタリア語にも各地方にたくさんの方言があるようですね。イタリア人同士は、アクセントで「あの人は北の出身だ」とかわかるようです。

私が出会ったもののひとつとしては、シチリア島パレルモの方言、palermitano (パレルミターノ)で、イタリア語を勉強しているにもかかわらず、ぜんぜんわからなくて、愕然としました。ところが他の地方のイタリア人も「私もわからない」と言っていたので、安心した思い出があります。

イタリア語や日本語に限らず、方言というのは無形の文化遺産として大事にしたいですね。20世紀に入って絶滅する生物が非常に多くなっているそうですが、グローバル化の中で、絶滅の危機に瀕している言語というのも多いそうです。

国際化の中で、英語さえできればいいような感じがしますが、そんな波に飲まれることなく、その郷土で伝えてきた言葉こそ、大事にしなければいけないですね。

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