18.レスピーギ

ボローニャ( Bologna )出身で、ローマの音楽院( Accademia Nazionale di Santa Cecilia )の教授をつとめたオットリーノ・レスピーギ( Ottorino Respighi, 1879年-1936年)のキャリアはヴァイオリニストとしてスタートしました。のちに作曲家として活躍しました。

作曲家としてヴィヴァルディなどバロック音楽の研究を熱心に行い、バロック音楽に基づく作品を多く発表しました。

彼の代表作としては、「ローマの噴水」( Fontane di Roma )、「ローマの松」( Pini di Roma )、「ローマの祭り」( Feste Romane )の「ローマ三部作」と呼ばれるものがあります。

「リュートのための古代舞曲とアリア第3組曲」よりシチリアーナ( Siciliana )をどうぞ。
BGMとしてもよく使われています。

http://www.youtube.com/watch?v=VThoRU6LBhQ


17.トスカニーニ

トスカニーニ( Arturo Toscanini, 1867-1957年)は1867年に北イタリアのパルマ( Parma )で生まれました。オーケストラでチェロを弾くなかで、86年に19歳という若さで指揮者として頭角をあらわしました。

1901年1月まで存命だったヴェルディ( Verdi )も彼をよく知っていましたし、トスカニーニより10歳上だったプッチーニの作品の初演もトスカニーニは数多く手がけました。プッチーニはトスカニーニの解釈を再現以上の演奏、真の再創造として絶賛しました。

従来のイタリアで指揮者というと楽師長程度に見られましたが、まさにトスカニーニによって指揮者は音楽監督へ、芸術監督へと発展していきました。

イタリア人でありながらトスカニーニはワーグナー(ドイツの作曲家)が大変好きで、バイロイトに招かれた最初の外国人指揮者でしたが、ワーグナーの息子ジークフリートの死後ヒトラー寄りになったバイロイトと肌が合わず、その後はNBC交響楽団の創設によってアメリカへ行く機会が増えて行きました。

トスカニーニ指揮「運命の力(ヴェルディ作曲)」の序曲をお聴き下さい。


16.カルーソー

エンリコ・カルーソー( Enrico Caruso,  1873年-1921年)は、レコードの録音技術の発明・普及の時期に空前の人気を誇ったテノール歌手です。

ナポリ( Napoli )の貧民街で育った彼は、非常に美しい歌声と広い声域をもち、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも活躍しました。

レコード録音(当時は蓄音機)を多く行い、当時では世界でもっとも販売枚数の多い伝説的な名歌手として今も名を知られています。

古い録音ですが、カルーソーの「オーソレミオ」をお聴き下さい。

⇒ カルーソーミュージアムがニューヨークにあります。


15.マスカーニ

ピエトロ・マスカーニ( Pietro Mascagni, 1863年-1945年)は、リヴォルノ( Livorno )生まれで、歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」( Cavalleria Rusticana )の一作だけで世界的に知られた作曲家です。他にも作品を書いていますが、このオペラの輝きのあまり、他の作品がかすんでしまっていると言ってもよいでしょう。

マスカーニは指揮者としても実力があり、ミラノ・スカラ座の主席指揮者も務めました。晩年、ムッソリーニ( Mussolini )のファシスト政権に協力したということで、第2次世界大戦後に財産を没収されました。

オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の有名な間奏曲をどうぞ!


14.プッチーニ

ジャコモ・プッチーニ( Giacomo Puccini 1858-1924年)は、ヴェルディと並んで、イタリアオペラの中でももっとも上演されることの多い作曲家です。ルッカ( Lucca )の音楽家の家系に生まれたプッチーニは、ミラノ音楽院で学びました。

『ラ・ボエーム』( La Boheme )、『トスカ』( Tosca )、『蝶々夫人』( Madame Butterfly )などが代表作で、非常に美しいメロディのあるオペラです。

プッチーニ自身は、嫉妬深い妻によってメイドが自殺したり、自動車事故にあったり、と波乱の多い人生でした。

オペラ「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」( O mio babbino caro )
 

 


13.ヴェルディ

パルマの郊外で生まれたジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ(  Giuseppe Fortunino Francesco Verdi、1813-1901年)は、イタリアの国民的ともいえる代表的作曲家です。

ヴェルディの活躍した19世紀後半は、ちょうどイタリアの統一運動と時期が重なることから、イタリア人の民族意識を高めたともいわれています。ユーロの前のイタリアの通貨は「リラ」で、1000リラのお札にはヴェルディの肖像が描かれたこともあります。

オペラを中心に作曲をし、代表作の『ナブッコ』( Nabucco )、『リゴレット』( Rigoletto )、『椿姫』( La traviata )、『アイーダ』( Aida )などがあり、世界各地で今も上演されています。

「ナブッコ」よりイタリアの「第二の国家」ともいわれる美しいアリア「行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って」( Va’, pensiero, sull’ali dorate. )をご紹介します!


12.パガニーニ

これまで作曲家を中心にご紹介してきましたが、今日は作曲家兼ヴァイオリニストの「鬼才」といえるニコロ・パガニーニ( Niccolò Paganini 1782- 1840年)です。

ジェノヴァ( Genova )で生まれ育ったパガニーニは若くしてヴァイオリンの卓越した技術を身につけ、そのテクニックはこれまでの演奏では考えられなかったほど革新的なものでした。あまりのテクニックに「悪魔に魂を売ったその代りに、ヴァイオリンのテクニックを手に入れた」という噂まであったほどです。また、悪魔に魂を売った男なので死後、埋葬を拒否され続けたとのことです。

また、パガニーニの演奏技術は人に伝えず、弟子は一人しかいませんし、自作の楽譜は出版せずほとんどは隠しておいたようです。ですからパガニーニ作曲の作品はほとんど彼の死後、発見されたものか、後世の人が書き起こしたものだといわれています。彼にはその破天荒な人生から伝説が非常に多く、同時代の作曲家にも影響を与えました。

彼が使用したヴァイオリンは1742年にグァリネリ・デル・ジェス( Guarneri del Gesu’ )という人の製作したもので、「カノン」( Il Cannone )と呼ばれています。パガニーニはこの楽器を他人が演奏することを望んでいませんでしたが、現在はいろんな演奏家によって演奏されています。

パガニーニの「胸騒ぎ」( I Palpiti )をご紹介します!

演奏はイタリアのFranco Gulliです。


11.ロッシーニ

19世紀の前半、それまで活躍していた作曲家がかすんでしまうほどケタはずれの人気を誇ったのが、ジョアキーノ・アントニオ・ロッシーニ( Gioachino Antonio Rossini 1792-1868年)でした。

ボローニャの音楽院を出た彼はオペラを中心に若くして大当たりをとりました。代表作品は「セビリャの理髪師」( Il Barbiere di Siviglia )、「アルジェのイタリア女」( L’Italiana In Algeri )、「ウイリアム・テル」( Guglielmo Tell )です。

彼のおもしろいのがその生きざまで、44歳の人気の頂点のところでオペラの作曲からは「引退」してしまいます。それはなぜかというと、ロッシーニが大の美食家だったからなのです。

彼は私的なレストランを経営し、みずからも料理人として腕を振る舞いました。「牛ヒレ肉のロッシーニ風」というフランス料理がありますがこの「ロッシーニ」とは、まさにこの作曲家にちなんでつけられたのです。

オペラ「セビリャの理髪師」のアリア「una voce poco fa」をご紹介します。

歌手はイタリアの名メゾソプラノ歌手Cecilia Bartoliです。


10.ベッリーニ

ヴィンチェンツォ・ベッリーニ( Vincenzo Bellini 1801-1835年)はシチリア島のカターニア( Catania )で生まれました。若くして天才作曲家の地位を確立し、ナポリやミラノで活躍したのですが、病で34歳の短い生涯を閉じました。作品は多くはありませんが、彼のオペラ「ノルマ」( Norma )は、オペラの中でも傑作として知られています。

彼の出身地カターニアのオペラ座はベッリーニ劇場( Teatro Bellini )といい、カターニアの郷土料理であるリコッタチーズとトマトソースのパスタは彼の名前にちなんで「スパゲッティアラノルマ」( Spaghetti alla Norma )といわれています。

オペラ「ノルマ」の非常に美しいアリア「清らかな女神よ」(Casta Diva)をお聴き下さい。天上の調べといえます。


9.ドニゼッティ

19世紀前半にイタリア・オペラの全盛期を迎えたロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティといった作曲家をご紹介します。ガエターノ・ドニゼッティ( Gaetano Donizetti 1797-1848年)は、ベルガモ( Bergamo )で生まれました。

貧乏な家の出身でしたが、ベルガモの慈善音楽院のヨハン・ジーモン・マイヤーに才能を認められ、苦労の中で非常に多くの作品を書きました。彼は短期間で書き上げることで有名で、オペラでも数日で完成させたといわれています。

オペラの数だけでも70ほどもありますが、その数のわりに、彼の代表的なオペラである『ランメルモールのルチア』( Lucia di Lammermoor )と『愛の妙薬』( L’elisir d’amore )を除いては、あまり演奏されることがないので、まだまだ過小評価された作曲家といえましょう。

『ランメルモールのルチア』は、恋人の悲劇を描いた作品で正気を失ったヒロインが歌う「狂乱の場」で有名です。ですが、ここでは私が個人的に非常に美しいと思う楽器ハープが歌う場面をご紹介しましょう。


8.ケルビーニ

チマローザに続いて、ロッシーニにはじまるイタリアオペラの全盛時代の前に活躍した作曲家にルイージ・ケルビーニ( Luigi Cherubini 1760-1842年)がいます。

彼はイタリア出身ですが、活動は主にフランスのパリでした。チマローザ同様、今日ではそれほど名が知られていないものの、その時代ではベートーベンなど偉大な作曲家にも評価されました。彼はオペラや宗教曲、交響曲を残していますが、中でもオペラ『メデア』( Medee )、ルイ16世の処刑を悼んで作曲された『レクイエム ハ短調』は今でも演奏される名曲です。

ケルビーニですら、今日ほとんど演奏されないので、名声を得ても後世まで名の残らない作曲家は無数にいるのでしょうね。

ケルビーニ「メデア」の一部をお聴き下さい!

歌い手は名歌手マリア・カラスです。


7.チマローザ

これまでバロック時代のイタリアの作曲家を中心に取り上げましたが、近代へと移って行きましょう。イタリアのオペラは19世紀よりロッシーニやヴェルディなどの天才的作曲家の登場によって全盛期を迎えるのですが、それまでに大きな成功を収めていたのがドメニコ・チマローザ( Domenico Cimarosa 1749~1801年)でした。

今でこそ、その存在は忘れられていますが、当時の文豪ゲーテやスタンダールにも称賛され、モーツァルトにも影響を与えたといわれる作曲家でした。彼の傑作として今日にも残るのは「秘密の結婚( Il Matrimonio Segreto )」です。

チマローザはナポリを中心に活躍しました。そのナポリは、フランスのナポレオン軍に占領されたときに共和制になりました。チマローザは「共和国賛歌」を作曲したのですが、すぐにナポリ王国が復活。チマローザは「裏切り者」として投獄されたということです。

チマローザの傑作「秘密の結婚」序曲をお聴き下さい!
 


6.タルティーニ

ジュゼッペ・タルティーニ( Giuseppe Tartini 1692-1770年)は、パドヴァ( Padova )で活躍したヴァイオリニスト・作曲家です。作品のほとんどはヴァイオリンの協奏曲かソナタです。パドヴァの大学では、法律を勉強し、フェンシングの名手でもあったようです。

ヴァイオリンの演奏技術を彼によって向上させた功績があります。作曲家としては『悪魔のトリル( Trillo del Diavolo )』が非常に有名で、今でも多くの演奏家によって弾かれています。

「悪魔( diavolo )」という名前がついているのは「夢で悪魔が弾くヴァイオリンを聴き、それを書き留めた」とタルティーニが語ったとされているからです。

トリエステにタルティーニ音楽院( Conservatorio di Tartini )があります。

では「悪魔のトリル」(1楽章)をどうぞ!

演奏はイタリア人のFranco Gulliの名演です。


5.スカルラッティ

バロック時代を代表する作曲家といえば、ドイツのバッハ、ヘンデルがすぐにあげられますが、この2人と同じ1685年生まれのイタリア人ドメニコ・スカルラッティ( Domenico Scarlatti, 1685年-1757年)も、その時代のチェンバロの曲に革新的な作曲家です。(当時、現在のピアノはなく、その前身がチェンバロです。)

スカルラッティは、後半生、宮廷楽長としてポルトガル、スペインで過ごし作曲を行いました。マリア・バルバラというポルトガル王家王女、のちのスペイン王妃に王女の家庭教師として作曲したといわれる数多くのチェンバロ練習曲は、現在もピアノレパートリーのソナタとして頻繁に演奏されています。

ソナタL23 ホ長調をお聴き下さい!


4.コレッリ

弦楽器の製作者としてストラディヴァリウスを取り上げました。17~18世紀のイタリアでは、弦楽器の普及とともに、ヴィヴァルディをはじめ弦楽器を中心とした作曲家が登場しました。そのはじめの一人がアルカンジェロ・コレッリ( Arcangelo Corelli 1653年-1713年)です。

彼は、ヴァイオリニストとしてローマを中心として活躍し、『ラ・フォリア』として有名なヴァイオリン・ソナタや、『クリスマス協奏曲』として知られる合奏協奏曲集を作曲しました。彼の作品は、バッハやヴィヴァルディにも影響を与えたといわれています。

コレッリの『クリスマス協奏曲』をお聴き下さい!


3.ストラディヴァリウス

ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器は、イタリアが発祥であることをご存じでしょうか? 現在のような弦楽器の大きさが定まったのは16世紀頃で、クレモナ( Cremona、イタリア北西部 )がこの弦楽器製作の「聖地」といえます。この地で活躍した製作家で燦然と輝くのが、アントニオ・ストラディバリ( Antonio Stradivari、1644年-1737年)です。

ストラディヴァリの楽器は、美しい形状・音色であることはもちろんですが、木の材質、ニスなど製作については謎の部分も多いといわれています。

ストラディバリが製作したヴァイオリンは、今では名器として数億円の値段がつくこともあります。また高価なゆえに盗難や偽物も多く、現存する約600挺ほどある楽器の多くには「レディ・ブラント」「ドルフィン」「メシア」などとひとつひとつに名前がついているほどです。

ストラディヴァリウスが大変な額で落札されたニュースです。


2.ヴィヴァルディ

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ( Antonio Lucio Vivaldi, 1678年-1741年)はヴェネツィア( Venezia )出身の作曲家です。ヴィヴァルディの「四季」といえば、どなたでも一度は耳にしたメロディーでしょう。バロックの作曲家として傑出した存在です。ヴィヴァルディは、カトリックの司祭( sacerdote )として、ピエタ慈善院付属音楽院 ( Ospedale della Pietà ) でヴァイオリンを教えました。

ヴァイオリン曲を中心に500以上の協奏曲を作曲したといわれています。日本でも特に有名な「四季」(  Le Quattro Stagioni )は、『和声と創意の試み』( Il cimento dell’armonia e dell’invenzione )という作品名で、その他には『調和の霊感』( L’estro armonico )が知られています。

バッハにも影響を与えたといわれるほどのヴィヴァルディですが、晩年は人気も落ち、死後はその存在はほとんど忘れられていたそうです。20世紀になってから再評価されていきました。ちなみに私のあるイタリア人の友人はヴィヴァルディを知らず、「誰?」と奥さんに尋ねていました。イタリアでは日本のような音楽史の勉強が必須ではないからのようです。日本人の方が、イタリアに詳しいということも往々にしてあることのようですね。

ヴィヴァルディの代表作『調和の霊感』の一部をどうぞ!

 


1.モンテヴェルディ

クラウディオ・ジョヴァンニ・アントニオ・モンテヴェルディ(Claudio Giovanni Antonio Monteverdi, 1567-1643年)は16世紀から17世紀にかけてのイタリアの作曲家です。マントヴァ公の宮廷楽長、ヴェネツィアにあるサン・マルコ寺院の楽長をつとめました。

モンテヴェルディの作品はルネサンスからバロック音楽への橋渡し的存在とされていますが、何よりオペラの最初期の作者として知られています。現代でも演奏される彼の最も有名な作品の一つが『オルフェオ( Orfeo )』です。他には『ウリッセの帰還』( Il Ritorno d’Ulisse in Patria )と『ポッペーアの戴冠』( L’Incoronazione di Poppea )が知られています。

モンテヴェルディの代表作「Orfeo(オルフェオ)」の一部をご紹介します。