「ラグーザお玉」 その2

「ラグーザお玉」 その2KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

シチリアという異文化の中で

ラグーザお玉さんは、明治から昭和初期にかけて、50年間、イタリアのシチリアで暮らしました。よく、この頃に外国へ渡った人の苦労話には「人種差別にあった、異文化に慣れるのに苦労した」といったことが多いのものです。

ところが、ラグーザお玉さんの自叙伝にはそうしたことが書かれていません。もちろん人知れず苦労はあったでしょうが、彼女は、「日本人として特別に扱われるというようなことは一向ございませんでした。・・・(中略)・・・町の人々も、特に日本人だからという変わった待遇を致しませんで、全くその土地の者同様に認めてくれ、尊敬してくれました。」と話されています。

 

異文化に慣れたシチリア

これは彼女の人間性のみならず、歴史的に異文化が交じり合ってきたシチリアの風土によるところもあるのではないか、と感じます。また、彼女は50年間のイタリア滞在中、出会った日本人が「10人ほど」で、日本語すら忘れてしまいました。しかし、肝心の「イタリア語」に関しては、苦労話も含め、ほとんど記述がないのです。それだけ、「再び日本へ帰るまいと決心した」彼女がイタリアでの生活に馴染んだからでしょう。

よく「日本人は英語がなぜできないか?」という議論がされますが、そうした決心や覚悟があるのかどうかも考えてみてもいいかもしれません。

余談ですが、ラグーザお玉さんと夫の名前からとられた高校がシチリアにあります。