3.シーザー(カエサル)の登場(紀元前1世紀)

カエサル(シーザー)の登場

共和制ローマは、戦争により現在のイタリア半島以外のヨーロッパ、東ヨーロッパ、北アフリカへと領土を拡大していきました。内乱状態にありましたが、その中で登場したのが、軍事的英雄として知られるカエサル( Gaio Giulio Cesare  紀元前100年頃 – 紀元前44年、写真下)です。

julius_caesar

皇帝となったカエサル

カエサルは、エジプト、スペインなどへの遠征をしていますが、特にガリア( Gallia、現在のフランス周辺)を制圧したことで知られています。このガリア遠征はカエサルが綴った『ガリア戦記』( Commentarii de Bello Gallico )として記録されています。

当時、内乱状態にあった共和制ローマで、終身の独裁官( dittatore )、つまり「皇帝」であるエンペラー( imperatore )となったことで、共和制ローマ( Repubblica Romana )は実質的に終わりを告げたとされます。

カエサルは紀元前44年、腹心であり養子のブルートゥスによって暗殺されました。『ブルータス、お前もか』( Et tu, Brutus? )という言葉はあまりに有名ですね。

 

カエサルのイタリア語はCesare

イタリア語では、シーザーともカエサルとも言わず、チェーザレ( Cesare )と呼びます。また、ドイツ語の「皇帝(カイザー)」をあらわす( Kaiser )の語源にもなっています。

⇒カエサルに関わる記事「帝王切開とタリアテッレ」はこちら

 

2.ポエニ戦争とハンニバル(ローマ共和制)(前6~2世紀)

ポエニ戦争

ローマでは、紀元前509年に共和制ローマ( Repubblica Romana )が成立しました。共和制では、当時2つ統治組織があったことで知られています。一つは「パトリキ」( Patricii )という貴族や政治家による元老院です。もう一つは市民の「プレブス」( Plebs )です(ちょうど日本の参議院と衆議院のようですね)。

共和政ローマは、次第に戦争による領土拡大へと向かいます。紀元前3~2世紀には、地中海の覇権を争ってポエニ戦争( Le Guerre Puniche )が行われました。

 

アルプス越えで知られるハンニバル将軍

ポエニ戦争では、現在のチュニジア(アフリカ北東)に位置するカルタゴの将軍ハンニバル( Annibale Barca )との戦いが特に知られています。ハンニバルはアフリカから像を率いて、地中海からではなく、スペインのピレネー山脈、スイスのアルプス山脈を越えて、イタリアに攻め込んだという伝説的将軍です。

結果的にローマがこのポエニ戦争にも勝利しました。戦争を通して、ローマは現在のイタリア半島のみならず、ギリシア・北アフリカなども領土として支配を拡大していきました。


ハンニバル将軍のドキュメンタリー「Impero Annibale Barca」をどうぞ!

1.ローマの建国(前8~6世紀)

イタリアの先住民族はエトルリア人

イタリア半島にはもともと先住民族としてエトルリア( Etruschi )人が住んでおり、エトルリア( Etruria )文明と呼ばれます。

エトルリア人はインド・ヨーロッパ語族に属さない独自のエトルリア語を使用していた民族で、その後登場してきたローマの勢力が強くなるとともに消滅、あるいは同化していったとされます。

イタリアで考古学博物館( Museo Archeologico )に行くと、エトルリア文明の土器などが展示してあるのをよく見かけます。

ローマ建国は双子ロムルスとレムス

エトルリア文明のあと、伝説によると紀元前753年にロムルスとレムス( Romulus Remus )という狼(写真下)によって育てられた双子によってローマが建設されたといわれています。「 Roma 」という名前はこの Romulus が由来になっています。

初代ローマ王のロムルス以降、7代の王によって統治(王政ローマ)されていましたが、紀元前509年、7番目の王タルクィニウス・スペルブスが追放されて、共和政ローマが成立しました。