シチリア王国の歴史
これまでイタリアの歴史をつづってきましたが、イタリア半島の先にあるシチリア島( Sicilia )は地中海に浮かぶ島として、ちょっと変わった歴史をもっています。
もともとこの地には先住民族としてフェニキア人( Fenici )がおりましたが、紀元前8世紀頃からは古代ギリシャの中心地のひとつとなります。三平方の定理で有名な数学者アルキメデスもこの地の出身です。シチリア島には今でも多くのギリシア神殿が残っています。
紀元前4世紀には、北アフリカを拠点にしていたカルタゴの支配下となり、その後は、ローマ帝国、東ゴート、東ローマ帝国による支配を受けます。9世紀にはアラブ人によって侵入され征服されました。イスラム教徒による支配にあっても、多様な文化や宗教は共存していたのがシチリアの特徴的なところです。
ノルマン王朝時代の宮殿 Palazzo Reale
そののちの11世紀、ノルマン人( Normanni )のバイキングの侵略があり、1130年にはシチリア王国( Il Regno di Sicilia )が成立しました。ここでもイスラム教やギリシア正教やカトリックが共存していました。学問や芸術に対する造詣が深いインテリのノルマン王ルッジェーロ2世( Ruggero Ⅱ )や、その後のフェデリーコ1世( Federico Ⅰ )といった王は、多様な文化と宗教の中での統治者として近代的な感覚の持ち主であったと伝えられています。
その後は、スペインのアラゴン王家、スペイン・ハプスブルク家、スペイン・ブルボン家の分家など、主としてスペインに統治されるようになった歴史があります。