1814年のナポレオン体制の崩壊後は、イタリアはまた地方ごとの、元の公国(北西イタリアはサヴォイア家のサルデーニャ王国、北東はオーストリア帝国、シチリアはスペインのブルボン家など)に戻ったものの、ナポレオンの侵略による国家統一は「イタリア」という独立国家への夢をもたらしました。
1820年ごろから各地で暴動が起きるようになり、その初期のグループには秘密結社カルボナリ( Carbonari )、ジュゼッペ・マッツィーニ( Giuseppe Mazzini )率いる青年イタリア( La Giovine Italia )があります。イタリア国家統一、つまりイタリア憲法制定のための運動は次第に大きくなりました。
その運動の中で発行された新聞が「リソルジメント( Il Risorgimento )」で、今ではイタリア統一運動全体を「リソルジメント」と呼びます。
イタリアの統一運動の中心となったのは、サルデーニャ王国(サルデーニャとピエモンテが領土)の首相カヴール( Camillo Benso, Conte di Cavour )でした。1859年、カヴールはフランスとも手を組み、オーストリア帝国からロンバルディアなど北イタリアを奪います。北部イタリアは、このサルデーニャ王国を中心に統一運動が展開されました。(明日に続きます)